私は昨年定年退職し、今は気ままな車中泊旅行をする身だ。
本当は、妻と一緒の旅がしたかったが、残念ながら嫌がられてしまった。 と言う事で、仕方なく一人旅を決行していた。
軽自動車のバンを少し改造し、一人用の寝台スペースを確保し、太陽光発電パネルで充電するタイプのポータブル電源を活用し、オフグリッドの生活を続けている。
衣食住は人間が生きていく上で最低限必要なものだ。 衣食足りて礼節を知るとは、昔の人は良く言ったものだとつくづく思う。 軽バンライフでは、衣と住が確保出来ているが、流石に食を自給自足する事は出来ない。
有難い事に、僅かな貯えと僅かな年金が有るお陰で、食堂やコンビニを利用する事で何とか事足りている。 偶には自炊する事も有るが、残飯やゴミが出るのが難点で、よほど環境が整った場所以外では行わない。
その日は、目的地も決めずに北上中だった。 かなり不思議な体験だったが、気が向いたら聞いて欲しい。 なに、そんなに時間は取らせない。
・・・
その日は、朝起きた時点で一応の目的地を決めていたが、途中立ち寄った道の駅の施設が充実していたせいで思いの外時間を使ってしまった。 結局、山道の峠の辺りで夕刻になったので、ここで留まる事を決断した。 と言うのも、齢を取ったせいで夜間の運転が怖くなってきた為だった。 齢は取りたくないものである。
峠には土産物屋風の建物と結構な駐車スペースが有った。 お店のオーナーに駐車場の利用許可を頂かないといけない。 車を駐車場の端に停め、店へと向かった。
私以外に一台トラックが止まっていたが、入れ替わりに出て行ってしまった。 改めて店の方を見ると、照明が見られない。 陽はほぼ沈み、辺りも可成り暗くなっているのに少し変だ。 ちょっと気に成りながら店の入り口を見て納得した。 既に数年前に閉店になっていた様だ。
その昔は、高速道路やバイパスが少なかったので、恐らくこの峠も良く使われた事だろう。 しかし、このご時世わざわざ峠道を使う人は少ない。 経営が成り立たなくなったであろう事は、容易に想像がつく。 私は極力、有料道路を使わないポリシーなので、仕方なくこの峠道を選んだのだ。
改めて道路を眺めてみると、確かに車が少ない。 と言うか、まったく車が通らない。 来た道と行く道を眺めてみたが、ヘッドライトの光もテールランプの灯りも見えない。 ここで留まる決断をした事を少し後悔したが、夜道の下り坂を走る危険を考えれば、このまま進む気にはなれなかった。 幸い、公衆トイレが外に有り、小用なら使えそうだった。
取り敢えず車に戻り寝床を用意しつつ、夕食の準備に取り掛かった。 念の為にと買っておいた非常食が役に立つ。 お湯を沸かして、カップラーメンを食べる事にした。 どうせ誰も居ないのだ、外にテーブルと折り畳み椅子を出し、ポータブル冷蔵庫で冷やしておいたビールを開けた。 既に暑くなり掛けている季節だったが、流石に標高が高い峠では涼しい風がそよいでいた。
落ち着いて椅子に座り、缶ビールを飲みながら夜空を眺めた。 私の車以外に照明は一切ない。 まだ少し空は白みがかっていたが、星が綺麗に見る事が出来た。 都会では見る事が出来ない景色だ。 私は、ちょっと感傷的になりながらも、気ままな一人旅の喜びを噛みしめた。 お湯が沸いたので、カップラーメンに湯を注ぎ3分間待つ。 カップラーメンと乾き物のツマミと缶ビール、いささか侘しい夕食だが、これも気ままな車中泊の旅の醍醐味だと悦にいっていた。
缶ビールを一気に半分程、喉に流し込みながら夜空を見上げると、星が一つ妙に瞬いている様に感じられた。 視力の低下のせいかな? と、些かブルーな気持ちになってしまう。 一瞬だが、強い風が吹き付けて来た。 ツマミを入れていた紙皿が、テーブルから落ちてしまった。 落ちたツマミと紙皿を拾い上げ、勿体ないなと思いつつもゴミ袋へと捨てた。
数分後、駐車場の外の茂みで音がした。 野生動物だろうか? 昨今はクマが住宅街迄降りて来て、被害が出る事件が多発している。 クマだって人間には会いたく無いのだろうが、飢えを凌ぐためには仕方がないと言う事なのだろう。
私は、音がした方向を注意深く眺めていたが、特に動物が動く様な様子は見えない。 いざとなれば車に飛び乗り、扉を閉めればやり過ごす事は出来るだろう。 大きなクマだったら、そのまま逃げれば良い。 夜道の運転は危険だが、クマに襲われるよりはよっぽどマシだ。
その後、特にクマが動いている様な様子も見えないので、改めて食事に戻る。 置いたままだったカップラーメンのスープは少し冷め、麺は伸びきってしまっていた。 食べられた物ではない。
ぬるくなったビールを飲み干し、缶ビールをもう一本取り出した。 缶ビールの栓を開けた刹那、また茂みでガサガサと音がした。
私は、車から懐中電灯を取り出し、茂みの方を照らした。
「眩しいので、やめて下さい」 男の声がした。 誰かが茂みに居る様だ。
私は、懐中電灯を照らしたまま、茂みに近付いて行った。
「眩しいって言っているでしょ」 茂みの中から声がするが、男の姿が見えない。 茂みを良く見ると、風も無いのに草木が揺れ、一部の草は踏みつけられた様にひしゃげていた。
「眩しいですって・・・ああ、そうか。 見えないですよね」 男の声が目の前で聞こえるのだが、姿は見えない。 その時、カチッと音がして、突然、変なスーツを着て、フルフェイスのヘルメットを被った者が現れた。
私は、突然の事に、数歩後ずさりした。 見間違いかとも思ったが、やはり目の前に変な姿の人間が立っていた。
「私にライトを向けないで下さい。 とても眩しいんです」
「あ、あんたは誰だ!?」
「私ですか? ええ、私の名前は貴方には発音出来ないでしょうから・・・そうですね、タロウとでも呼んで下さい」
「タロウ? 取って付けた様な名前だな」
「ええ、取って付けた名前です。 私の本当の名前は、貴方では発音出来ませんので」
「妙な事を言う男だな。 そのメットを取って、顔を見せて呉れ」
「えっ!? ああ、これは失礼しました。 礼儀がなっていなかったですね」
男はそう言うと、顎の横当たりを触った。 また、カチッと音がして、一瞬でヘルメットが無くなった。 男の顔は、少しばかり目と耳が大きい以外、普通の禿げ掛けたオヤジだった。 私は、二度もカチッと言う音の直後に、驚く様な事が起こった事の理由を聞かずには居られなかった。
「その・・・カチッとやって姿を現し、メットを消したのか?」
「えっ? ああ、光学迷彩と形状記憶ナノメットの事ですか? こりゃ困ったな、どうしようかな」
「困る様な事なのか? そもそも、あんた何者なんだ?」
「中々ストレートな質問ですが、答えない訳にもいかないですね。 私は宇宙人です」
「宇宙人!? 何を言っているんだ」
「そう反応するとは思っていましたが・・・まあ、私から見れば、貴方が宇宙人なんですがね」
「ちょっと待てよ。 何で宇宙人が、普通の人間の顔をしているんだ?」
「ほう、私が灰色の肌で、もっと目が大きい方が良かったですか? 何なら、貴方を襲うとか」
「ぶっ、物騒な事を言うな。 お、お前が宇宙人だと言うのなら、証拠を見せろ」
「あらあら、光学迷彩を見ているのに信じられませんか? 今の地球に、姿を消せる技術は有りますか?」 男はそう言うと、脇腹辺りを触り、またカチッと音をさせた。
その瞬間、男の首から下が消えてしまった。 男の向こうの木が、そのまま見える。
またカチッと音がして、男の身体が瞬時に現れた。
「どうです? これで信用して頂けますか?」
「た、確かに。 現代科学で、こんな技術が完成したと言う話は聞いた事が無い。 不満だが、お前が地球人では無いかも知れないと言う点は・・・信じても良さそうだ」
「ふう、中々理屈っぽい方ですね。 それと、貴方と私が、まあまあ似た様な姿をしているのは、進化生物学的に収斂進化と言う説明で、一応皆が納得しています」
「収斂進化? あの、生態系の同じ様な地位に居る生物の姿が似るってやつか?」
「これは素晴らしい! 理屈っぽいだけでなく、それなりに知識もお持ちの様だ」
「馬鹿にするな! それじゃ、言葉はどう言う事だ? 何故、日本語が喋れる?」
「それは科学技術のなせる業ってやつです。 私の頭脳には補助的に電子頭脳が組み込まれています。 そのお陰で、色んな知識が瞬時にインストール可能です。 中々便利ですよ」
そう言うと、男は少なくなった髪を掻き上げ、こめかみの辺りに何かの装置が埋め込まれている事を見せつけた。
「どうやら・・・本当に地球人ではなさそうだな。 ところで、こんな所で何をしている?」
「えっ? ああ・・・実は、一人旅をしていましてね。 本当はもっと先まで移動しようと思っていたんですが、丁度ここ地球の傍を通ったものですから、少し立ち寄ってみようかと思った次第です。 私は明るいのには弱いので、夜を迎えたこの地域に降りたと言う次第です」
「一人旅? 優雅なものだな。 何処から来て、何処へ行こうと?」
「う~ん、貴方に言っても理解が難しいと思いますが・・・私の母星は3万光年程離れています。 行こうと思っていたのは、この地球からだと2万光年程の距離になります。 あっ、因みに全て同じ銀河系内です。 残念ながら、銀河間の移動は個人には認められていないんですよ。 まあ、危険だからって言う事なんですがね」
「3万光年とか2万光年とか、偉くスケールが大きい話しだな。 もしかしてワープ航法とかが可能なのか?」
「おっ、貴方詳しいですね! 正確には重力波航行ドライブを使ったワープ航法を使っています。 原理的には、一瞬で数十万光年の移動が可能なんですが、銀河系内は恒星や惑星、それに隕石やデブリが一杯ですからね。 一度のワープで、せいせい数百光年が良い所なんですよ。 何、私達素人は船の操作は行いません。 全て自動の航行システムがやって呉れますので、私は乗っているだけなんです」
「ところで、さっき一人旅だと言っていたな?」
「ええ、その通りです。 永年働いて、やっと先日定年を迎えました。 本当は妻と豪華なクルーズ旅行とかしたいんですけど、如何せんお金が有りません。 そこで小さな船を手に入れ、ケチケチ旅行を行おうと・・・」 そこで男は急に悲し気な表情になってしまった。
「妻も誘ったのですが・・・私はそんな窮屈な船で、無理な旅行はしたくない! と」
「付いて来て呉れなかったって言う事かい?」
「え、ええ。 ですが、この旅行は永年働き続けた自分へのご褒美なんです。 それで、一人旅を決意したと言う次第です」
男の話しに、思わず私は声を掛けた。
「どうだ、座ってゆっくり話をしないか? まだビールも有る」
「それでは、お言葉に甘えて」
それから、何を話したのか良く覚えていないが、お互いに意気投合した事だけは確かだった。 可成りの時間話し込んだが、いつの間にか眠ってしまっていた。
翌朝。 私は、肩を揺すられて目が覚めた。 周りはまだ暗かったが、空は白みかけていた。
「起きて下さい」
「あっ、寝てしまったか。 申し訳ない」
「いえいえ、かなり酔っておられた。 当然でしょう。 昨夜は、楽しい話が出来ました。 この地球に立ち寄った、最大の収穫でした」
「もう少し、ゆっくりして行けば・・・」
「ええ、まあ、気ままな旅ですので、どうとでも成ると言えばどうとでも成るのですが」
「何だか、歯切れの悪い言い回しだな?」
「ええ、まあ。 理由は二つ有ります。 一つは、私は貴方方よりも明るさに弱いんです。 恐らく、朝日が昇ると私には耐えられないでしょう。 もう一つは・・・」
「何だか言いづらそうだな?」
「え、ええ。 実は、私は調査員なんです」
「調査員って?」
「あの、その、何て言えば良いのか・・・銀河連盟は、地球人を有害な生物だと考えています。 従って、有害だと断定されれば、銀河連盟の技術によって根絶やしにされてしまいます」
「おいおい、偉く怖い話だが・・・君達の技術力ならば、容易に出来るのだろうな」
「え、ええ。 比較的簡単です。 人間にだけ有効な致死性のウイルスを散布するとか・・・」
「で・・・君の結論は?」
「ええ、有害では無いと報告します」
「それは、有難い。 その報告で人類は助かると言う事で良いのか?」
「ええ、当面は」
「当面とは?」
「地球人の時間感覚で凡そ1,000年後に再調査する事になると思います。 まあ、その時は私達の子孫が調査に来る事になるでしょうが」
「1,000年・・・1,000年後も、君達に有害だと思われない様にしないといけないな」
「ええ、そうですね。 ですが、他の文明では、調査後に絶滅した種族も多く存在します」
「君達がやったのか?」
「まさか! 多くは、惑星内で戦争を起こして自滅しています。 幾つかは、環境破壊で・・・1,000年後、貴方方が銀河連盟に参加できるレベルに達している事を切に願う次第です」
「昨晩の話し・・・君が一人旅しているって言う・・・あれは嘘だったのか?」
「いいえ、本当です。 これは信じて下さい。 調査は・・・一人旅の資金調達としてのアルバイトなんです。 燃料を買うのも、食事をするのも、お金が掛かりますからね」
「そうか・・・いやなアルバイトだな」
「ええ、まあ。 気分の良い物ではありません。 でも、今回は貴方にお会い出来て良かった。 地球人も捨てた物では無いと実感できました」
「で、これからどうするんだ?」
「ええ、旅を続けます。 そして、次の惑星の種族を調査する事になります」
「そうか。 大変だと思うけど、頑張って呉れよ。 ところで、私は記憶を消されるのかな?」
「はははっ、その様な事は致しません。 銀河連盟の技術でも、生物の記憶を一部だけ消すなんて事は出来ませんので。 貴方は、私と会った事を記憶していて下さい。 出来れば、貴方の子孫達が良き人間となる様に指導頂ければ有難いです。 難しいでしょうけどね」
「難しいだろうね。 私は、私の旅を続けるよ。 気ままな一人旅を」
「おっと、そろそろ朝日が昇りそうです。 それでは失礼します。 昨夜はご馳走になりました。 それでは、良い旅を」
彼は手を振りながら、駐車場の端に向かって歩き出した。
カチッと音がすると、駐車場に大型バス程の宇宙船が現れた。 船のゲートが開き、彼はゲートを登って船内へと消えて行った。
一陣の風と共に、宇宙船はふわりと空に舞い上がり、あっと言う間に飛び去ってしまった。
私は、僅かに右手を挙げて手を振ったが、彼には私が見えていたのだろうか?
私は、改めて車に戻り、ペットボトルの水を一気飲みした。
既にアルコールはすっかり抜けた様だ。 私は、駐車場に設置していた机と椅子を片付け、出発の用意をした。 その時、丁度一台の乗用車が峠を通って行った。
朝が来たのだ。 新しい一日の始まりだ。
私は、車のエンジンを掛けると、駐車場を出て峠を下り始めた。
「1,000年後か・・・地球はどんな世界になっているのかな」
きっと、1,000年前にもどこかの誰かが宇宙人と出会い、地球人は有害では無いと認識して貰ったんだろうな。 私はふと、そんな事を考えていた。
終り