劇的な環境変化
「ローム、そろそろ探査船に戻ろうか」
「急いだ方が良いと思います。 外気温度がこの数時間で急激に上昇しています。 1時間当たり10℃程度の上昇です」
「どうなる?」
「過冷却の状態だった窒素が一気に液化します。 現時点では気圧が極めて低いので、昇華するかも知れません」
「って事は! 一気に気体に成るって事か?」
その時、探査機が大きく揺れ出した。
「アキラ! 液化と気化が同時に起こっている様です。 急いで大気圏外に出ましょう」
「分かった! しかし、機体の安定が取れない! ローム、操縦席に座って、ベルトで体を固定しろ!」
「きゃあ!」 探査機が急降下し、ロームが後方に投げ飛ばされた。
アキラは探査機を立て直し、操縦席から飛び出すと咄嗟にロームを抱きかかえた。
「大丈夫か!」
「足を・・・」
ロームを抱きかかえ、操縦席のシートに座らせるとシートベルトで体を固定した。
「何とか大気圏に出る迄、動かないでくれ!」
アキラも操縦席に戻ろうとするが、激しい乱気流で探査機が大きく揺り動かされる。
「クソッ!」 アキラは必死で操縦席の背もたれに掴まっていたが、大きく機体が横を向き激しく壁に叩き付けられた。
「アキラ!」
機体は一層大きく揺れ始めた。 運良く、気化したガスの上昇気流で、地面に叩き付けられる様な事態は避けられているが、乱気流の影響でまったく姿勢制御出来ていない。
壁に叩き付けられたアキラは、痛みに唸りを上げながらも、壁伝いに操縦席迄戻って来た。
「クソッ! 強かやられたよ」
「大丈夫ですか?」
「ああ、何とかな。 しかし、まったくコントロール出来ない」
窒素の氷は急速に融解を始め、地上は正に窒素の海の様だった。
「アキラ! あ、あれを見て!」
激しく揺れ動く機体の眼下に、先程見えていた謎の生物の姿が露わになり始めた。
「すげえ! 大群だな」
「ええ。 しかし、まったく動きが有りません。 もしかすると死骸だったのでしょうか?」
「ローム! この現象はどの程度続くんだ?」
「大気量と気温の上昇率で推定出来るとは思いますが! 今は・・・計算は無理です!」
「アキラ、ローム。 完全な安定には2年程度掛かるでしょうが、現在の急激な気化現象は数時間で収まるものと推定されます。 先程の隕石跡が近隣で最も標高が高い。 そこに着地してアンカーで固定して下さい。 やり過ごすのです」
「分かった! ジェミニ! ところで、転送は出来ないか?」
「成層圏に至るまで、極めて強い乱気流が発生しています。 積乱雲では雷が多発・・・無理です」
「クソ~、分かった! ローム、兎に角一度着地する」
「お願いします!」
乱気流に激しく揺さぶられながら、先程のクレーター跡を目指す。
「アキラ、2時の方向、高度150m!」
「了解! ローム、アンカーの用意だ。 安全に着地させるのは無理だ! 地上に近付いたところで一気にアンカーを打ち込んで、強制的に固定する!」
「分かりました。 合図をお願いします」
探査機は、激しく上下前後左右に揺さぶられながらも、徐々に高度を下げ始めた。
「ローム! 後5秒! 4 3 2 1 今だ!」
ロームがコントロール装置を操作すると、探査機の4隅からアンカーが地殻に向かって射出された。 アンカーの1本は地上に刺さらなかったが、3本が地殻に突き刺さった。
「アキラ、1本が!」
「仕方ない。 3本で構わない! アンカーを引く」
アキラの操作で、アンカーに繋がるワイヤーが巻き取られ、何とか探査機が地上に固定された。
「助かった!」 アキラが額の汗を拭う。
「まだです。 地殻に大きな揺れを感じます」
「そりゃ、これ程壮大な環境変化だ。 多少は地殻にも影響するだろう。 落ち着いて、様子を見よう」
命の目覚め
つい先程迄、クレーターの底だった筈の地殻が、周りの窒素氷が液化と気化を同時に始め、見る見る水位が下がる事で、山の頂だった事が露わとなった。
「おいおい、ここは岩山の頂上じゃないか! 氷が無かったら、絶対にこんな岩山の頂上なんかに着地しね~よ」
ロームは、先程の全球スキャンデータを表示しながら、地殻形状を確認していた。
「アキラ、この機体の10時方向には大きな湖が出来る様です。 カルデラ湖とでも言った感じですね」
「しかし驚いたな。 氷が一気に溶けて・・・大気圧もどんどん上がっている」
「ええ、現在の外気温は氷点下60℃程度。 大気成分も、ほぼ酸素20%、窒素80%」
「TERAの南極辺りで、有り得る環境になって来たな」
「はい、更に気温は上がるでしょう。 御覧下さい。 地表面が露出した事で、樹木が露わになりました」
「驚いたな。 これ程も植物が生い茂っていたなんて。 しかし、380年の凍結保存で死んでしまってはいないだろうか?」
「恐らく、問題無いでしょう。 それに・・・あれを。 10時の方向、湖の中です」
驚異的な光景だった。 体長数十mもの巨大なエイの様な生物が、ゆっくりと湖の氷の上を這い動き始めていた。
「冷凍冬眠だったと言うのか?」
「詳細に調査が必要ですが、恐らく間違い無いでしょう。 不凍液で満たされた体細胞を持って代謝を極限まで低下させる機能か、冷凍されても復活可能な体細胞を持った種なのでしょう」
「しかし、氷点下60℃で活動する生物なんて・・・信じられない」
「恐らく、これからもっと気温が上昇して、水も液体になれば、もっと多様な生物が見れる事でしょう。 それに、あの生物の動きももっと活発になるかも知れません。 これからの20年間、調査のやり甲斐が有りますね」
「まあな。 しかし、生物調査は専門家に任せよう。 俺達は、この惑星に未知の生物が存在する事を確認した事でお役御免さ」
「そうですね。 それでは、帰りましょうか」
ロームがコントロール装置を操作し、アンカーを回収した。
「良し、それじゃ行こうか」
アキラの操縦で機体を浮上させたが、スラスターの調子が悪い様だ。 機体の平衡がなかなか取れない。
「参ったな、さっきの騒動でスラスターが幾つか損傷したらしい。 機体を上昇させるのは可能だが、安定しない」
「ジェミニに、探査機をもう1基出して貰って牽引しますか?」
「いや、多少揺れるが、上昇は可能だ。 成層圏迄行ければ、スラスター無しでも航行は可能だよ」
その時、探査機のアラームが鳴った。 何者かの接近警報だった。
「ローム、レーダーは?」
「ええ、金属反応では有りません。 この探査機の下、僅かに後方に何か! いえ、この探査機の真下です。 距離100m」
二人が探査機の観測窓から下を覗き込むと、驚愕の光景が目に入った。
「デカい! 直径100m位有るぞ」
「ええ、どうやら先程のエイの様な生物と近縁の様ですが・・・遥かに大きい。 しかも、空を飛んでいます」
「確かに、今は地表の液体が急速に気化して、上昇気流が発生してはいるが・・・器用にヒレをはためかして、まるでグライダーの様に飛行している」
「アキラ! 接近しています。 上に上がって来る! 距離30m、20m、10m・・・」
「衝撃に備えろ!」
探査機は、まるで巨大なエイの背中にソフトランディングするかの様に接触した。
「これは・・・もしかして、乗せて呉れたのか?」
「ま、まさかとは思いますが、その様です。 あっ、高度を上げ始めました。 すごいスピードです。 このままの速度なら、成層圏まで20分程度で上がります」
「しかし、気圧も下がるだろうし、大気も薄くなる。 そもそも、上昇気流そのものが無くなるよな」
「ええ・・・行けるところまで、と言う事かも知れません」
巨大なエイの上昇速度が徐々に低下してきた。 恐らく、これが限界だろう。
「あっ、エイが降下を開始しました。 アキラ、ここからなら探査機のコントロールは可能ですか?」
「ああ、うっかりしていたよ。 探査機の上昇を再開する」
「私達を助けて呉れたのでしょうか?」
「まあ、もしかすると、彼奴にはこの探査機が傷ついた子供にでも見えたんじゃないか? そう言う意味では、助けて呉れたのかも知れないね」
「しかし驚きました。 まさか空を飛ぶ、しかもこの成層圏近くまで。 彼等の生活にどの様なメリットがあるのでしょうか?」
「まったくの推定だけど、恐らく空中を漂うプランクトン的な生物も居るんじゃないか。 そいつらを主食にする様に進化した、空のクジラかも知れない。 それにしても・・・何等かの感情を持っているのは明らかだ。 いずれは、知的生命に進化していくのかも知れないな」
「脅威ですね。 あっ、ジェミニ! ボスへの報告はどうなりました?」
「はい、先程ご指示頂いた時点で一報致しました。 加えて、先程の超巨大浮遊生物についても追加のレポートを提出済みです」
「そうですか、いつも手早く、そつが無いですね」
「ロームにそう仰って頂くと、とても嬉しいです」
「ローム、探査船が見えて来た。 ジェミニ、ハッチを開けて呉れ。 ご帰還だ!」
「アイアイサー」
エピローグ
探査船は順調に航行を続けていた。
探査船の展望デッキのソファーに、アキラとロームが2人で寝転んでいた。
「ローム、足の具合はどうだい?」
「ええ、投げ飛ばされた時は、ひどく痛みましたが、今は大丈夫です」
「こっちも大丈夫か?」 アキラはロームのお腹を摩りながら、心配そうに呟いた。
「大丈夫ですよ。 既に安定期に入っています。 それに、適度な運動は必要だとドクターからも言われています」
「でも、投げ飛ばされるって言うのは、運動には入らないだろう」
「アキラ、きっとこの子は、アキラの様に元気で丈夫な子になると思います。 早く会いたいですね」
「ああ、待ち遠しいよ。 ローム、兎に角、今回の件で懲りたから、一旦調査局の仕事は休もう。 俺の実家で、お袋が面倒見て呉れるって言っているし、婆ちゃんはドクターだ。 帰ったら産休に入って呉れ」
「ええ、私自身は大丈夫だと思っていますが、アキラの希望なら指示に従います。 私が休みの間は調査局の仕事はどうするのですか?」
「ああ、ボスからはオフィスの仕事をしろって言われているよ。 なんせ、俺は問題児だから、ローム以外とコンビは組めないし・・・丁度良いかなって思っているよ」
「直ぐに飽きてしまうのでは無いですか?」
「ああ、多分ね。 だから、早く君に復帰して貰って、惑星調査の仕事がしたい。 この子には悪いが、子育ては親父とお袋に任せてさ」
「アキラ! それは責任放棄では無いですか?」
「そんな事は無いぜ! だいたい、親父もお袋も俺を育てた訳じゃ無い。 俺は婆ちゃんに育てられたんだ。 俺は、この子の子供が出来た時に、孫の世話を責任持ってやるよ」
「アキラ! もう孫の話ですか?」
「ちょっと気が早すぎるかな?」
「いいえ、未来を想像するのは良い事です。 ただし、出来ればこの子の教育を先に考えて下さいね」
ロームはそう言うと、自分のお腹を摩りながら、アキラにウインクを投げ掛けた。
終わり