私は、独身だ。 詰まり、独り者と言うわけだ。
朝6時に目覚まし時計のベルの音で起き、まずはTVのスイッチを入れる。 いつものニュース番組が始まり、いつもの女性アナウンサーが爽やかにニュースを伝えて呉れている。
シャワーを浴びて体を起こし、スーツに着替え、通勤の準備が整った。 部屋を出ようとTVを消した。 その時。
ノックの音がした。
ここはワンルームマンションの3階。 普通はマンションの入り口からインターフォンで呼び出しが有り、こちらがスイッチを押さないと入り口のドアは開かない。
誰かが出た時に、勝手に入って来た者が、悪戯に私の部屋のドアをノックしたとしか思えない。 念の為、ドアに設置されている覗きレンズから外を伺った。
丸眼鏡を掛け、全身黒尽くめのスーツに身を包み、同じく黒の帽子(今時?と思う様な山高帽だ!)を被っている。
明らかに変な男だ。 用心の為、無視を決め込んだ。
部屋のベッドに腰を下ろし、タバコを一服する事にした。 いつもなら部屋を出ている時間だが、余裕を見て早目に行動する事にしている。 通勤に遅れる訳では無いので、落ち着いてタバコを味わう事にした。
一服を終えても再度のノック音は聞こえない。 安心し、だが念の為、再度覗きレンズから外を確認する。 私は用心深いのだ。
驚く事に、男はまだ外に立ったままだった。 何なのだ!
私は、もう1本タバコを咥え、火を点けた。 後3分、様子を見よう。 それでギリギリだ。 朝食のハンバーガーを食べる時間が無くなってしまう。
2本目のタバコを吸い終わり、灰皿に押し付けて消火する。
恐る恐る、レンズを覗き込んだ。 まだ居る!
ここで私は決断を迫られた。 一つ目は、ドアを開けて彼を追い払い、私は出勤する。 二つ目は、我慢して無視を続ける。 二者択一だ!
私は、後者を選択した。 もし相手の男が狂人で、ドアを開けた途端にナイフで刺されたらどうする? 何事にも、危険予知が大切なのだ。 自動車の運転然り、私はこれまで、そうやって生きて来たのだ。
会社には、少し遅れて出勤する旨をメールする。 理由など、何とでもなる。 然し、私は会社にほとんど遅刻した事が無い事が誇りだったのだが・・・忌々しい男のせいで嫌な思いをする事になってしまった。
10分後、レンズを覗くと男の姿が消えていた。 やっと解放された。 本当に忌々しい男だった。 何だったのだ!
私が靴を履こうと屈んだ瞬間、またノックの音がした。
私は驚きの余り、尻餅を付き、大きな音を上げてしまった。
何とか立ち上がり、改めてレンズを覗くと、やはりあの男がドアの前に立っていた。
私は靴を脱ぎ、部屋に戻ると、ベッドの上に座り込んだ。 一体、何なのだ! 何の用事が有ると言うのだ! 怒りで震えが止まらなかった。
ドアの方から“カチリ”と音がし、ドアが開いて男が玄関に入って来た。
「失礼します」 男は落ち着いた口調で、私に挨拶した。
「何が“失礼します”だ! 本当に失礼な奴だ!」 私は怒りに震えながら叫んだ。
「落ち着いて下さい。 当然ですが、貴方に用が有って参りました」
「私はあんたに用は無い! 帰って呉れ」
「そう言う訳には参りません。 重要な要件です。 失礼しますよ」
そう言うと、男は靴のまま部屋に入ろうと歩き出した。
「ちょっと待て! 靴を脱げ!」 余りの暴挙に、私はまた叫んだ。
「靴? ああ、この足に装着している保護具の事ですね。 失礼しました」
男はそう言うと、ゆっくりと靴を脱ぎ、改めて部屋に侵入してきた。
「ああっ! 貴様! 入って来るな! 不法侵入だぞ!」
私は、あらん限りの大声で、男を罵倒した。
「私の重要な要件の為です。 ご容赦下さい」
「あ、あんたは何を言っている! 警察を呼ぶぞ!」
「どの様な手段で?」
「はあ? この携帯で呼んでやる!」
私は、胸ポケットに入れてあるスマホを取り出し、慌てて落としそうになりながらも、震える手でスマホを操作した。 電話を起動し、110番に電話を入れる。 スマホを耳に当てながら、男に声を掛けた。
「動くなよ! 逃げるなよ!」
「動きませんし、逃げませんよ」 男は落ち着いて答えた。
スマホから呼び出し音が聞こえない。 画面を確認すると、圏外の表示になっている。
「何て事だ! こんな時に」
私が再度電話を掛けようとすると。
「無理ですよ。 繋がりません」
「何! 何を言っているんだ!」
「ですから、貴方の通信装置は使えませんよ、と申し上げています」
「えっ!?」
「どうです、落ち着いて話をしませんか。 私は重要な要件があって、貴方を尋ねて参ったのです」
男は立ったまま、落ち着いた口調で話し出した。
「貴方は、選ばれたのです」
「選ばれた? 何に? そもそも、あんたは何者だ?」
「私ですか? 私は宇宙人です」
「はぁ~!? 貴様! 何を言っている! 出て行って呉れ」
「私は貴方の質問にお答えしただけです。 心外ですね」
「う、宇宙人だと! 笑わせるな! いい加減にしろ!」
「疑ってらっしゃるのですか? 私が、灰色の皮膚で、大きな吊り上がった目をして、3本指だったら良かったですか?」
「そりゃ、まあ。 少なくとも宇宙人だと信じるだろう。 しかし、あんたは不法侵入して来た変な小父さん以外の何物でも無いだろう!」
「仮に、私が貴方の想像している通りの宇宙人の姿だったとして、今の様に会話が成立しますか?」
「それは・・・確かに・・・その通りだが。 あんた、本当に宇宙人なのか?」
「その通りです。 貴方から見て、私は宇宙人です。 当然ですが、私から見れば貴方が宇宙人と言う事になります」
「偉く論理的だな。 確かに、そう言う事になるだろう。 しかし、あんたが宇宙人で有る事を証明して貰いたい」
「難しいご注文ですね。 貴方は、貴方が人間である事をどの様に証明できますか?」
「おっと、切り返してきやがったな。 私が人間である事は、他の誰にでも聞いて呉れ。 誰もが私の事を人間だと言って呉れる!」
「成る程、第3者の証言と言う事ですね。 残念ながら、今ここには貴方と私の2人しか居ない。 この状況で、どうすれば信用して頂けますか?」
「あんたが宇宙人だと言うのなら、地球人より高度な文明を持っているのだろう? それを見せて呉れ」
「困りましたね。 例えば猿に相対性理論を説明したとしても、猿はそれを理解出来ないでしょう。 理解出来ない事で納得して下さるかどうか・・・」
「それは詭弁だ! もう何でも良い。 証明して見せろ! 証明出来たら信用してやる!」
「う~む。 あっ、そうだ。 私はドアを開けて入ってきましたよね。 貴方はドアに鍵を掛けていた。 鍵を開けたのは私です。 どうですか?」
「ふん。 そんな事は人間でも出来るやつが居る。 他には無いのか?」
「なかなかしつこい方ですね。 それでは、貴方の通信機が使えないのは、私が妨害しているからです。 これで如何ですか?」
「ほう。 確かに高度な技術だ。 しかし、そんな事は地球人の技術でも可能だ! さあ、他には無いのか?」
「参りましたね。 貴方は頑固な方だ・・・」
そう言うと、男は腕時計を眺め、眉を顰めた。
「ど、どうした?」
「いえ、貴方の説得に時間を使いすぎて、タイムリミットが近付いて来てしまいました」
「タイムリミットって何の事だ?」
「ええ、実話・・・この地球を破壊する予定になっています。 それが、銀河連盟の決断です」
「はぁ~? 地球を破壊する? 銀河連盟?」
「そうです。 地球人は、いえ、地球は危険なので、いっそ破壊しようと言う結論になったのです。 私は、愛護団体の代表として地球に参りました。 改めて地球を調査し、銀河連盟の結論を覆そうと参りました」
「どう言う事だ?」
「ええ、例えば、貴方方はクマに襲われたら、クマを駆除しますよね?」
「駆除?」
「ええ、平たく言えば殺してしまう」
「それは・・・クマが危険だからだ!」
「クマは、自分が生きていく為に行動しているだけですよね。 その行動に、偶々人間が関与したが為に怪我をしたり、ゴミを荒らされたりする」
「そうだ。 だから、仕方なくクマを駆除しなければならない」
「まったく同じ考え方です。 地球人は、いえ、地球は将来、銀河連盟に危害を加える可能性がある。 だから駆除する事に決めた。 実際に事件が発生してからでは遅いですからね」
「何! 実際に起こっても無い事件で駆除されると言うのか?」
「今は起こっていませんが、極めて高い確率で・・・いえ、確実に起きるのです。 従い駆除が決定された。 しかし、私は地球がそれ程ひどい惑星だとは思っていませんので、何とか駆除を止めさせたいのです」
「それで? どうしたら銀河連盟は考え方を変えて呉れるのだ?」
「ええ、地球が銀河系に危害を加えない事を宣言すれば良いのです。 しかし、現在の地球には様々な生物が存在し、意思決定のシステムが存在しません。 私は諦めかけていました」
「何か打開策が有るのか?」
「貴方が宣言すれば良いのです」
「私が?」
「そうです。 地球の意思決定者として」
「私は、意思決定者じゃない。 私は単なるサラリーマンだし・・・」
「ご心配には及びません。 貴方の意志に異を唱える者はおりません。 さあ、地球の為に、ご決断ください」
「な、何を言えば良いのだ?」
「銀河連盟に危害を加えないと宣言して下さい。 もう時間が無い。 さあ、早く!」
「わ、分かった。 銀河連盟に危害は加えない。 宣言する!」
私の言葉が終わると、男は腕時計に向かって意味不明の会話をしていた。
「ど、どうなった?」
「ええ、大丈夫です。 これで、地球は駆除の対象から外れました。 良かったですね」
「本当か? 良かった! ありがとう」
「いえいえ、貴方の決断と宣言のお陰ですよ。 それでは、私の要件は終わりましたので、失礼させて頂きますね」
「ああ、そうか。 ところで、私は地球の意思決定者でも何でも無いのに、本当に良かったのか?」
「ええ、それはまったく問題ございません。 貴方が紛れもなく、地球唯一の意思決定者でしすので」
「どう言う意味だ?」
「えっ。 文字通りですよ。 貴方が地球唯一の生命ですから」
「はぁ~!? お前、何言っているんだ?」
「ですから、現時点で貴方が地球唯一の生命です。 地球を駆除の対象から外す為には、これしか方法が無かった。 地球が消滅するより良かったでしょう?」
「地球唯一の生命って・・・」
「ええ、地球上に存在するウイルス、バクテリアから動植物の一切。 貴方以外を消去しました。 私達の科学技術を持ってすれば、朝飯前です」
「何ぃ~! それじゃ、私の両親も?」
「当然です。 ですから、地球上の全生物です。 貴方以外」
「何て事を! それが本当なら、地球が残ったって意味が無いじゃ無いか!」
「そうですか? ああ、確かに、貴方が食べる物も無い訳ですし、繁殖する事も出来ない訳ですから・・・直ぐに全生物が死滅してしまいますね。 でも良いじゃ無いですか、この貴重な地球が無傷で残るのですから。 後、何億年かすれば、新たな生命が誕生するかも知れませんし。 それでは、お邪魔致しました。 失礼させて頂きます」
そう言うと、男は私の目の前から忽然と消えた。
「何と言う事だ・・・」
私は、アパートの両隣の家のドアを激しく叩くが、反応が無い。
慌てて大通りに出て周りを見渡すが、まったく人が見当たらない。 ところどころで、事故になっている車が見えるが、中に人は乗っていない。
公園の池、普段は多くの鯉が泳いでいたが、今はまったく見当たらない。
そもそも、公園の木々や緑が消えている。
遠くに見える山は、山肌が露出し、見渡す範囲でまったく緑が目に入らない。
その時、遠くの空を宇宙に向かって飛び立つ光と轟音が聞こえた。
私は、その場で膝から崩れ落ちた。
終わり