私は、初老の域に達している。
 永年勤めた会社生活を終え、残りの人生を好きな事をして過ごすと決めた。

「ああ、良い空気だ」 私は大きく伸びをした。

 妻と息子二人。 子供達は既に独立し、それぞれに生計を立てている。
 妻とは旨くやっている積りだが、それぞれに自分の時間を使いたいと言う希望もあり、お互いに無茶をしないと言う条件で、生計の許す範囲でお互いの行動を束縛しない事に決めた。

 私は、得られた自由時間を使って全国を旅歩き、思うところをブログに綴る生活を行っていた。 結構、ブログの読者も多い。 若い人達にとっては夢の自由人生活であり、同年代の人達にとっては“ああ、こう言う過ごし方も有るんだな”と言う案を提示している。

 まあ、結局はケチケチ旅行であり、移動はもっぱら軽自動車、泊りも主には車中泊を行っている。 この歳になると車中泊は少々きつく、朝目が覚めると身体の節々が痛むが、動けるうちが華と精力的にほうぼうをうろついていた。

 そんなこんなで、今回は北海道にやってきていた。 私自身、北海道の生まれ育ちであり、多少の土地勘がある。 それに、年老いたお袋がまだ一人暮らしをしており、偶には顔を覗きに来なければならない。 その意味では一石二鳥だった。

 今朝も実家を出て、十六、七の頃に良く原付バイクで遊びに来ていた場所へとやってきた。
 実家から一時間半程度の移動、地方都市の街中から外れ広大な山裾に向かって走った。
 北海道の中心に聳える山々の裾野、広大な丘陵地帯で酪農が行われている。 その外れに行くと、見渡す限り丘陵しか見えない、所謂地平線の様だった。
 動く者はゆったりと牧草を食む牛たちのみであった。

 私は道とも言えない道に車を停め、来る途中のコンビニで買ったおにぎりとペットボトルのお茶で昼食を摂っていた。 軽い食事を終え、車を降り大地を踏みしめた。
「ああ、良い空気だ」 私は大きく伸びをした。
 その時、前方に見える何本かの木が揺らいだように見えた。

 真夏で有れば蜃気楼かと思うところだったが、今は初夏。 それ程暑くも無い・・・私は子供の頃から、気になった事は最後まで調べないと気が済まない性分なのだ。
 何気なく木に向かって歩き始めると、やはり後ろの木が揺らいで見える。 風は無い。

 更に足を進めると、突然、見えない何かに行く手を遮られた。 正直な所、真っ先に右手が当たったのだが、まるで固い金属にでもぶつかった様にしたたか打ち付けてしまった。
 歩みは止めたが惰性で体は前に進み、顔と胸も軽くぶつけてしまった。

「何なんだ?」 自分一人だけだったが、思わず声に出してしまった。
 恐る恐る手を伸ばすと、明確には目に見えないが確実に何かが存在する。 目にも背景の揺らぎとして、何かが存在する事が知覚出来た。
 ゆっくりと周辺を手探りしながら確認すると、概ね長さ5m、幅3m、高さ2m程度の箱の様な形の物が、そこに存在する事が確認出来た。 表面の感触は金属の様であり、様々な凹凸が存在していた。

 私は暫し呆然としていたが、思いついてスマホで写真を撮り始めた。 目には良く見えないが、もしかしたら写真には写るかも知れない。
 残念ながら、期待通りには写らなかった。 考えてみれば、目もカメラも可視光線を記録するものだ。 紫外線か赤外線で写真が撮れれば、或いは画像に残せるかも知れない、そんな事を考えていた。

 と、突然、空間が開き始めた。 いや、想像していた通り、見えない箱が存在し、その箱のドアが開いたため内部が見え、結果として何も無い空間が開いた様に見えただけだった。
 私は驚きの余り後ずさりし、咄嗟に身構えた。

 空間に開いたドアからは、無精髭を生やした私と同年代位の男がゆっくりと出て来た。
「ありゃ! 見つかっちゃいましたね。 しまったなぁ、良く確認してからドアを開ければ良かった」
「お、お前は誰だ!」 私は、恐る恐る尋ねた。
「私ですか? 何てお答えしたら良いか・・・まあ、旅行者ってところです。 まあまあ、貴方に危害を加える積りは一切有りませんから、そう身構えないで下さい」
「りょ、旅行者? あんた、もしかして宇宙人なのか?」
「宇宙人? あ、ああ、はいはい、ええ、ええ。 貴方の立場から見れば、私は宇宙人です。 私の立場から見れば、貴方が宇宙人ですけど」

 私は、変な反応を示す宇宙人に興味を持った。 どうやら、映画の様に、問答無用で襲って来ると言ったタイプでは無い様だ。

「あんたが宇宙人だとして、何故、私達と似た様な見掛けをしている。 あんたは日本人にしか見えないし、そもそも何で日本語が喋れるんだ?」
「ええっ? 不思議ですか? いや、そりゃそうですよね。 宇宙人は灰色の肌で目が大きい方がそれらしいですもんね。 普通は言葉だって通じないのが当たり前ですよね」
「こ、答えになっていないぞ。 もしかして、アンドロイドなのか?」
「アンドロイド!? こりゃ一本取られましたね。 確かに、私がアンドロイドで最新のAIが日本語をマスターしているって言うのは、有り得る話ですよね。 いやぁ、残念ながら私は生身の人間なんです。 怪我をすれば、ちゃんと血も出ますよ」
 そう言うと、彼は右手をゆっくりと差し出した。

 私は、恐る恐る左手を出し、震える人差し指で彼の手の甲を触ってみた。
 確かに皮膚の感触は有るし、体温も感じる。

「ねっ、普通の人間でしょ。 ああ、それと言葉の方ですが・・・ここに来るに当たって少々勉強して来ました。 この時代の言葉をね」
「この時代? あんた、もしかして未来から来たのか?」

 彼は本当に驚いた様な顔をした。

「貴方、するどいですね。 いやぁ、参った。 またまた一本取られましたね。 貴方の洞察力と想像力、それに探求心には感服しました。 その通りです。 私は未来からやってきました。 しかし、この時代の人と接触するのはご法度なんです。 そう言う意味では、私は大きな規律違反をしてしまいました」
「おいおい、待てよ。 もしかして、私を消そうって言うのか? 或いは、記憶を抹消するとか」
「はははっ、それは映画の見過ぎですよ。 流石に私、殺人はしません。 記憶を消すって言うのも、不可能では無い出しょうが・・・私は医者でも有りません。 単なるリタイアしたサラリーマンです。 そんな事が出来る訳がない」
「そ、そうか。 少し安心したよ。 ところで、その規律違反の件はどうするんだ?」
「そうですね。 内緒にします」
「内緒にする? 大丈夫なのか? そのタイムマシンに記録されてしまっているとか」
「私の事を心配して頂けて有難いです。 でも大丈夫ですよ、貴方の時代だって駐車違反や速度違反する事は有っても、全部が全部罪にはならなかったでしょ? それと一緒です。 重大な違反で無ければ、罪に問われる心配は有りません」
「重大な違反って?」
「そうですね、例えば歴史改変です。 ほら親殺しのパラドックスって言うのを聞いた事が有るでしょ? まあ、親殺しは不可能なんですけど、バタフライ効果って言うか、この時代でやった事で未来に大きな影響が出てしまう事は有り得るんです」
「バタフライ効果か・・・それも映画で見た事があるな」
「話が合いますね。 それで・・・貴方にお願いが有ります」
「どんなお願いなんだ? 内容によるからな」
「その通りですね。 お願いは・・・私と会った事を絶対に秘密にして下さい。 誰にも口外しない。 今回の事を、墓場まで持って行って頂きたい」
「それは・・・理解するよ。 分かった、約束しよう。 私は口が堅い。 決して誰にも喋らないよ」
「おおっ、ありがとうございます。 貴方を信用します」

「ところで、君はどうしてこの時代のここに来たんだ?」
「ええっ、理由ですか? 笑われそうで嫌だな。 まあ、良いですか。 貴方は人が良さそうだ。 私はつい先日まで会社員として仕事をしていました。 やっとリタイアしたものですから、妻の了解を貰って小型のタイムマシンを買いました。 それでちょこちょこ旅行をしようと思っているんです」
「ほう、まるで私と同じだな。 私も軽自動車を買い込んで、気ままな旅を楽しんでいる。 ほら、車はあそこに停めている。 ところで、さっきの質問だが、どうしてここに?」

 彼は一瞬眉を顰めたが、ゆっくりと話し始めた。

「話すと少し長くなりますが・・・貴方のこの時代、そのずっと未来は決して素晴らしい未来と言う訳では有りません。 いやいや、悲観する程悪いって訳でもないんですが、決して素晴らしいって程でも有りません」

 私は彼の言葉に耳を傾けた。

「正直なところ地球の環境は悪化します。 私は日本人です。 ですが、つい最近日本を・・・いいえ、地球を離れました。 所謂スペースコロニーに引っ越したんです。 地球よりは安全だろうって言うのが理由なんです。 火星にもコロニーは有るんですが、あそこは一部の富裕層の世界になっていまして・・・私達庶民ではとても住む事は出来ないんです」
「貧富の差が激しくなるのかい?」
「いえいえ、恐らくこの時代とさして変わりは無いと思いますよ。 私の時代だって、未だに地球で暮らす者は大勢居ますし、スペースコロニーに住むのは、この時代ならちょっと高目のマンションに住む様な感じだとお考え下さい」
「そんなもんなのか? ところで、地球外生命は発見されたのか?」
「あのぉ、余り未来の事はお話し出来ないんですが・・・」
「あっ、済まん」
「いえいえ、当然お知りになりたいでしょう。 火星の地下で単細胞生物は発見されました。 今は、タイタンとトリトンへ調査船が向かっているところです」
「知的生命は?」
「当然、まだです。 正直、恒星間航行すら出来ていませんからね」
「なのにタイムマシンが?」
「ええ、その通りです。 コロンブスの卵って言うんですかね・・・原理は至って単純だったんです。 貴方の時代でも再現可能だと思いますよ。 あれっ、確か最初の発見はこの時代だったかな。 まあ、聞き流して下さい」
「あ、ああ、分かった。 そこは突っ込まない事にするよ。 ところで、何故ここに?」
「ああっ、そうでしたね。 ある時、ネットを検索していると、恐ろしく古いブログを見付けましてね。 それにここの風景が紹介されていたんです」
「もしかして・・・そのブログって?」
「ええ、貴方のです。 私は、貴方が書いたブログを読んでここに来ました。 ええ、先程お会いして直ぐに分かりましたよ。 貴方だって」
「もしかして、私に会いに来たのか?」
「いえいえ、それを狙って来た訳では有りません。 でも、もしかしたらって思ってはいました。 まさか貴方がこのタイムマシンを見つけるとは思ってもいませんでしたよ」
「そうだったのか。 それは・・・光栄な事だな。 私の書いたブログに興味を持って呉れた事は素直にお礼を言うよ」

「おっと、もうこんな時間だ」 彼は左腕の腕時計で時間を確認していた。 「タイムマシンの原理は非常に単純なんですが、余り同じ時間に留まれないって言うのが欠点なんですよ。 それでは、そろそろ戻らなくてはなりません。 貴重な貴方の時間を奪ってしまい申し訳ありませんでした」
「いや、そんな事は。 ところで、君がここに来た理由は私のブログを偶然見ただけって事じゃ無いみたいだな」
「す、鋭いですね。 お察しの通りです」
「君の腕時計・・・私の腕時計と同じ物だ。 君の時代なら、きっとそんなレトロな時計は使わないだろう?」
「そ、その通りです。 この腕時計は父から譲り受けたものです。 父は祖父から。 代々引き継がれた物です。 今でも正確に時を刻んでいますよ」

「どうしてそれが君の手に・・・」 私はハッとした。
「お気付きの通り、私は貴方の子孫です。 当然ですが、貴方のお二人のご子息のどちらかの直系の子孫と言う事になります。 私は、偶然、先祖である貴方のブログを発見した。 ええ、まだ20代の頃でした。 それから40年近く、やっと自由な身になりましたので、昔からやりたいと思っていた事をやると決めたんです。 実は、貴方に逢うのが最初にやりたいことでした」
「そ、それは、重ね重ね光栄な事だ」
「でも、これで貴方が約束を守って下さる方だと確信できました。 貴方のブログは、今日以降もまだまだ続きますが、決して私と会った事には触れていなかった」
「うん? ちょっと待てよ。 だったら、何故、今日を選んだんだ? 他の日でも良かった筈だ」
「またまた、鋭いですね。 確かに・・・ですが、貴方は私にだけは分かる様にブログを書いて呉れていたんです。 私は、読んで直ぐに分かりました。 おっと、まずい。 名残惜しいですが、もう直ぐ戻らなければなりません。 ああ、一言だけ・・・未来も、決して悲観的では有りませんので、ご心配なさらないで下さい。 では!」

 彼はそう言うと、ドアを閉めた。
 ドアが閉められたその空間は、背景がやや揺らいでおり、まだそこにタイムマシンが存在している事が感じられた。

「お、おい。 待って呉れ。 また、いつか会えないのか?」
 私は大きな声で呼びかけた。

 その瞬間、ブンと言う鈍い音と共に一陣の風が吹き抜けた。
 行ってしまった・・・直ぐに、そう分かった。

 私は、実家に戻り、お袋が用意して呉れた夕食を済ませてから、ブログの更新に手を付けた。 “どの様に書こうか” 今日の出来事を、彼に会った事は書けない。 男の約束だ。
 だが待てよ、彼は“読んで直ぐに分かった”と言っていた。 何か彼との遭遇を仄めかす様な文章だったのか?

 文章を書きあぐねる中、ふと今日撮った写真をもう一度眺めてみた。 スマホの小さな画面では無く、パソコンの大きな画面で見ると・・・成る程、背景の揺らぎでボックス型のタイムマシンの輪郭がなんとなく分かる。
 何も知らない人が見ても何とも思わないだろう。
 私は、今日一日自然を満喫した事を文章で表し、そのページにこの写真を貼り付けた。

「ところで彼奴・・・何て名前だったのかな? それに、二人の息子のどっちの子孫だったのだろうか?」
 私は、そんな事を考えていた。

終り

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