私は、極々一般的なサラリーマンだ。 妻と子供が2人。 女の子と男の子が1人ずつ。
妻との共働きで、少し無理をして郊外の閑静な住宅街に戸建てを買った。
30年間のローンをしており、まだまだ働き続けなければならない。 しかし、私はまだ若い。 妻や子供達との幸せで豊かな生活の為、身を粉にして働いている・・・そんな日常だった。
今日も仕事を終え、自宅の最寄り駅まで到着した。 今日は残業で遅くなったせいで、終バスを逃してしまった。 歩くと30分程度の距離だが、タクシーを使うのも勿体ない。 意を決して歩く事にした。
久し振りに歩いてみると、普段は気付かない様な街の変化に触れられる。 意外な所に新しいお店がオープンしていたり、新しいマンションが建っていたり。
徐々に変化する街並みに、少し驚きを感じながら歩みを進めた。
自宅までの距離の半分程を歩いた頃、街灯も乏しい暗がりまで辿り着き、タバコを一服しようと思った矢先、その男に出会った。
その男は、地面に這いつくばり、何か落とし物を探しているかの様だった。
無視して歩き去るのも申し訳ない気がしたし、その男は無害な中年男性の様に見え、声を掛ける事を決断した。
「どうされたんですか? お手伝いしましょうか?」
私の掛けた声に驚いた様に振り向いた男を見て、私は驚いた。 男はサングラスを掛けていたのだ。
「あ、ああ、申し訳ありません。 落とし物をしてしまいまして・・・一緒に探して頂けるとありがたいです」
「え、ええ、お手伝いするのは構いませんが・・・そのサングラスを外した方が捜し易く無いですか?」
「えっ、あっ」 男は言われて初めて気付いた様に、慌ててサングラスを外した。 「本当だ、このせいで見えにくかったのか。 あっ、有った有った」 そう言うと、道に落ちていた何かを拾い上げた。
私は、サングラスを外した彼の目を見て驚いた。 何と白目が無く、真っ黒な目玉をしていた。
「あ、あんた・・・何者なんだ!?」 驚きの余り、私は思わず声を出してしまった。
この時は、恐怖を感じこそすれ、予想外の展開になろうとは思いもしていなかった。
彼は探し物が見つかった事で、喜び勇んで私に近付いて来た。
「いやあ、ありがとうございます。 貴方のお陰で見つかりました。 いやぁ、兎に角参りましたよ。 はっはっはっ」
私は、真っ黒な目の玉で、大きな口を開けて笑う男を凝視していた。 実は、恐怖で口も身体も動かなかった。
「あれっ、どうされましたか? 少し呼吸が荒い様ですが」
「あ、あんた・・・何者なんだ?」 また、同じ事を言ってしまった。
「あ、ああ。 少し、驚かせてしまいましたか? 申し訳ありません。 私は、貴方が恐らく推測している通り・・・宇宙人です」
「う、宇宙人! 何でここに!」
「何でと言われましても。 言うなれば仕事で、と言う事になります。 私の故郷の惑星は、地球程明るく無いものですから、必然的に瞳孔が大きくなっています。 地球の昼間は明るすぎるものですから、サングラス無しでは何も見えません。 ついつい、夜になってもサングラスを付けたままだったのを忘れてしまっておりました」
この頃には、私も少し落ち着きを取り戻していた。
「目の件は分かった。 非常に論理的で、納得も出来る。 しかし、何故宇宙人が・・・その・・・普通の格好でここに仕事に来ているんだ?」
「普通の格好と言うのは、当然ですが皆さんに馴染むためです。 目立たないでしょ? 仕事の方は、極秘事項なのですが。 貴方は良い人の様なので、特別にお教えしましょう。 絶対に他の人には喋らないで下さいね。 お約束頂けます?」
「や、約束する。 いや、逆に一つ約束して呉れ。 私に危害を加えないと」
「はい、それはお約束致しましょう。 私や私以外に来ている宇宙人の皆さんも、決して地球の皆さんに危害を及ぼすなんて事は有りません。 絶対に!」
「そこまで断言して貰えるのなら、少し安心した。 ところで、仕事とは?」
「ああ、そうでしたね。 仕事でしたね。 ええ、仕事・・・いいえ、実は・・・観光なんです。 地球の姿を見に来たのです」
「観光? この地球に? わざわざ何光年も移動して?」
「貴方は中々知識が有りますね。 確かに、恒星間航行であれば光の速度と言う壁の存在があります。 従い、何光年もの移動には相応に時間が必要ですね。 場合によっては、寿命の範囲で行きつけないかも知れませんね」
「宇宙人と言うからには、当然、他星系から来たのだろう? もしかして、ワープ航法とか、重力波航行とか、画期的な技術を持っているんじゃないのか?」
「またまた、お詳しいですね。 少しSF的ですが、ワープとか重力波とか・・・確かに何かとんでもない技術が無いと、他星系から地球を訪れるのは難しいかも知れませんね」
「どうも話が噛み合わないな。 貴方は宇宙人なんでしょ? どうやって地球にやって来たんだ?」
「ふむ。 貴方は良い人で、しかも妙に知識もお持ちの様だ。 仕方有りませんね、事実を申し上げましょう」
「嘘を付いていたのか?」
「まあ、そうですね。 ただ、貴方にご理解いただき易いようにと配慮した積りだったのですが・・・実は、私は地球人です。 未来の地球から参りました」
「えっ!? 未来人なのか? 宇宙人より信じがたい! タイムマシンが存在するのか?」
「ええ、まあ。 その通りです。 私は、この現代から見て、約1万年後の未来から参りました」
「1万年! 人類は1万年後まで絶滅しないと言う事なんだな! 人類は宇宙人とのコンタクトを成功させたのか?」
「おっと、貴方は論理的で且つ、知的好奇心が強いですね。 私が未来人だと知っても、さほど驚かれていない」
「驚いているよ。 しかし、興味もある。 で、どうなんだ?」
「はいはい、少し落ち着いて下さい。 では、まず、貴方の言う通り人類は絶滅していません。 私の存在がその証明ですね。 それと、宇宙人、地球外知的生命体とのコンタクトは・・・実現していません」
「そ、そうか。 絶滅していない事は良かった。 現代では温暖化とか環境破壊とか、兎に角、人類が早々に絶滅してしまうかの様に世論で叫ばれている。 杞憂だったと言う事なのだな」
「ちょっと待って下さい。 私は、確かに絶滅はしていないと申し上げましたが、快適で幸せに暮らしているとは申し上げておりませんよ」
「どう言う事なんだ? 何か問題でも?」
「ええ、大有りです。 現代の皆さんが環境破壊を継続した結果が・・・例えば私の目に現れています」
「えっ!? いったいどう言う事だ?」
「地球環境は悪化を続け、ゴミ問題、大気汚染、温暖化・・・様々な悪条件が重なった結果、大気は太陽光を遮断し、地上には光が届かない様な世界になってしまいました。 その様な環境で世代を経た結果、私の様な目に進化してしまったと言う事です。 我々は何とかこの環境を改善しようと努力しましたが、力及ばずでした。 異星系の高度知的生命とのコンタクトでの打開も試みましたが・・・先程の話にも有りました様に、物理的な距離の問題で、未だ出会えていないのです」
「な、なんと。 信じ難い話だが・・・あんたの説明は論理的だ。 信じざるを得ないな」
「ご納得頂き光栄です。 やはり、貴方は良い人で論理的な思考が出来る人でした。 我々は、一縷の望みを賭けタイムマシンの開発に注力し、成功した。 今、私がここに居る事がその証明です」
「タイムマシンで、どんな望みを叶えようと言うんだ?」
「この1万年の未来の時点から、環境破壊を食い止めるのです」
「それって、歴史を変えるって言う事にならないのか?」
「その通りです。 様々な検討の結果、この1万年前がターニングポイントで有った事が分かりました。 陽電子コンピューターを駆使し、過去の様々なイベントの中で、今この時点が最も大きな影響を与えていた事が分かったのです」
「しかし、歴史を変えてしまったら、あんたの存在自体が無かった事になってしまうのでは?」
「おっと、流石にSFに詳しいですね。 確かに、パラドックスの問題が有りますね。 親殺しのパラドックス・・・子供が過去の両親を殺したら、自分が生まれない事になってしまう。 生まれていない子供には、当然ながら親を殺す事も出来ない。 さて、どうなるでしょう?と言うやつですね。 気になさらないで下さい。 我々は腹を括ったのです。 1万年後の悲惨な地球が消えようが、私自身が消えようが、或いは新たな時間軸が生まれようが・・・兎に角、打てる手を打とうと決めたのです」
「成る程、覚悟の程は分かった。 しかし、何故そこ迄私に教えて呉れるんだ?」
「貴方がターニングポイントだからです」
「えっ、ええっ、えええっ!」
「これ迄の会話で、貴方が論理的で良い人である事を確認しました。 だからここ迄お話ししたのです。 貴方こそがターニングポイント。 貴方に1万年後の未来が掛かっているのです」
「ま、まさか、私を殺すと言うのか?」
「まさか! 流石にSFの読み過ぎですよ。 最初に危害を加えないと申し上げたでしょう」
「そ、そうか。 安心した。 しかし、あんたはさっき、多くの人がここを訪れていると言っていなかったか?」
「あっ、ああ、あれは嘘です。 実は、タイムマシンは1回しか使えない。 しかも、一度に一人だけ。 即ち、私が選抜され、たった一人でここにやって参りました。 もう一つ付け加えるなら、私は貴方の子孫です」
「え、ええ! マジか?」
「マジです。 ターニングポイントである貴方と接触するに当たり、少しでもDNAが近い方が良いだろうとの判断でした。 結果は、ご覧の通り、極めてスムーズに会話が成立する様になりました。 成功です」
「おいおい、何が嘘で、何が本当なのか・・・分からなくなってきたぞ」
「今お話ししている事は全て本当です。 私は貴方の子孫であり、たった一人選抜され、タイムマシンで現代にやってきました。 目的は唯一つ、貴方と接触し、貴方に実行して貰う事です」
「私に何をやれと?」
「ええ、簡単な事です。 貴方はタバコを吸いますね?」
「えっ!? ああ、確かに吸う。 ささやかな憩いの一時だからな」
「今からタバコを止めて下さい」
「ええっ! 私がタバコを止める!? それが地球環境の維持になると言うのか?」
「その通りです。 貴方ならご理解頂けると思います・・・バタフライ・エフェクトです」
「バタフライ効果!? 小さな変化が徐々に大きな影響を及ぼすと言うやつか?」
「流石、話が早い。 その通りです。 極めて小さな変化ですが、1万年後の地球環境は劇的に変化する筈です。 我々が必死で辿り着いた答えなのです。 さあ、止めて頂けますね?」
「ちょっと待った。 仮に私がタバコを止めたとして・・・どうやって効果が確認出来るのだ? 地球環境の維持に貢献するのは吝かでは無い。 しかし、結果が分かるのか?」
「簡単です。 もし、貴方がタバコを止めて頂ければ・・・貴方にも分かる形で結果が現れますよ。 さあ、お止め頂けますね!」
私は、彼の気迫に押されながら、暫し考えた。
「わ、分かった。 今からタバコは止める! これで、どうだ」
その瞬間、笑みを浮かべた彼が目の前から忽然と消え去った。
街灯も乏しい道端で、私は周りを見渡した。 今目の前に居た人物が、一瞬で消えてしまったのだ。
慌てて時計を見ると、この場所で小一時間は経っていた様だ。
私は、ポケットを弄り、落ち着こうとタバコを取り出して、ふと気が付いた。
「あっ、タバコを止めると誓ったんだった」
私は、改めてタバコをポケットにねじ込み、考えていた。
妻は私の帰りが遅い事を心配しているだろう。 早く帰って、遅い晩飯を食べ、明日に備えなければ。
それと・・・買い置きしてあったタバコと、このポケットのタバコを処分しよう。
自分の健康の為である事に加え、地球環境の維持と改善の為に。
私は、足早に自宅への道を進み始めた。
終わり