私はタバコを吸う。 もう40年近くになり、なかなか止める気になれない。
 最近は、路上喫煙は禁止だし、タバコ1本吸うのも大変だ。 だったら止めたら? と言う声を良く聞くが、これがなかなか止められないのだ。
 今日は仕事で外出し、帰社するには遅い時間になってしまったので、先程部下と別れたところだった。 少し喉も乾いたし、タバコも吸いたかったので、喫茶店に入る事にした。 まさか、あんな体験をする事になるとは、思いもしていなかった。

 私は単身赴任中であり、急いでアパートに戻る必要も無いし、かと言ってお腹が空いている訳でも無い。 喉も乾いたし、タバコも吸いたいので、出先の駅近くの喫茶店に入ろうと店を探す事にした。
 喫茶店と言っても、昔ながらの喫茶店は最早皆無に等しい。 落ち着いた調度の椅子に座って、マスターの入れた美味しいコーヒーに舌鼓を打ちつつタバコを燻らせる・・・などと言う光景は、もう殆ど経験できない。 大手のチェーン店ばかりであり、店によっては全面禁煙だ。 少し歩き回って、やっと一軒の喫茶店を見つけた。 この店は、喫煙ルームは小さいが、喫煙ルームが存在するのは確実だ。 私は、店に入ると、まず喫煙ルームの席が空いているかを確認した。

 奇跡的に席が空いていた。 左端に若い男性が、飲み切ったコーヒーカップを置いたまま、眠りこけていた。 残る僅か2席の内、右端の席を確保した。 カウンターへと移動し、アイスコーヒーを注文する。 支払いを済ませ、カップを持って喫煙席に戻ると、先程の若い男性が起きていた。 ボーとした感じに見える。 寝ぼけているのかも知れないな。 私はそう思った。 喫煙ルームに置いてある灰皿を手に取り、席に座る。 アイスコーヒーにミルクとシロップを投入し、ストローで混ぜて一口吸い込んだ。 乾いた喉が潤うのが分かる。 美味しかった。

 ポケットからタバコを取り出し、火を点ける。 深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。 喉の潤いと共に、心が落ち着く感じがした。 ニコチン中毒ってやつかも知れないが、タバコを吸うと落ち着いた気持ちになるのは事実だ。 寝ている間は8時間程吸わなくても何とも無いのに、起きている時は1時間毎にはタバコを吸いたくなる。 不思議なものだ。
 私がチビチビとアイスコーヒーを飲み1本のタバコを吸い終わるまで、若い男は放心した様な表情で、焦点の定まらない視線を正面に向けていた。 私がタバコを消そうと灰皿にタバコを押し付けていると、突然、男が私の横の席にすり寄って来た。

「ちょっと良いですか?」 男は、私に視線を向け、声を掛けて来た。
 ライターを貸して欲しいのか? 私は単純にそう思い、タバコのパッケージからライターを取り出そうとしていると、もう一度声を掛けて来た。
「少し、お話をさせて貰って良いですか?」
「えっ」 私は、意外な言葉に、一瞬反応が出来なかった。
「貴方に危害を加える積りは一切有りません。 少し、その、話がしたいだけです」
「な、何なんだ?」 私は、やっと言葉を捻りだした。

「私が何に見えますか? 変な所は無いですか?」
 また妙な事を言い始めた。 私にそんな言葉を掛けて来る時点で、かなり変な奴だが、下手に刺激して突然暴れ出されても困る。 適当に会話して、早々に退散する作戦を選んだ。
「お若い様だが、お幾つですか? 特に“変”と言う風には見えないが・・・」
「そ、そうですか。 少し安心しました。 “お幾つ”って言うのは、僕の年齢の事ですよね? 困ったな」

 また妙な反応をする奴だ。 だが、急に殴ってきたり、刃物をチラつかせる様な感じには見えなかった。
「そう、君の年齢。 因みに、私は58歳だが」
 私はちょっと、しまったと思った。 何も自分の個人情報を、率先して喋る必要は無かった。
「貴方は58歳ですか。 と言う事は、生まれて58年以上経過していると言う事ですね。 58年間は永いですか? 短いですか?」
 またまた、妙な質問を投げ掛けてきやがった。
「おいおい、君。 私は先に、君の年齢を聞いた筈だが、その答えを聞いていないよ」
「ああ、申し訳ありません。 ちょっと答え難くって。 え~と、正直に言います。 僕の年齢は約2万歳です。 正確には19,998年と182日15時間22分、いや23分です」

「はぁ~?」 私は呆れて、開いた口が塞がらなかった。
「理解し難いでしょうが・・・貴方になら理解頂けると思って、正直に言いました」
「そ、そうか。 おっと、用事が有るので失礼するね」
 私が席を立とうとすると、男が私の右手を掴んできた。
「お願いです。 話をさせて下さい。 まだ飲み物も全部飲んでいないじゃないですか」
「いや、もうお腹が一杯なんだ。 それに用事がある。 邪魔しないで呉れ」
「お願いです。 少しで構わないんです」
「しつこいな君も。 手を放して呉れ」
「僕は、未来からやってきました」

 衝撃的な言葉だったが、単なる狂人としか思えない。
「だ、だったら何だと言うんだ」
「知りたいんです。 僕が何故生まれ、何をしたら良いのか?」
 男の妙に真剣な眼差しを見て、私は興味を持った。 狂人の戯言なのか、話を聞いてみようと言う気になった。
「何年未来から来た?」
「今は何年ですか?」
「西暦2022年だが」
「ですと、20,050年後と言ったところです。 ああ、数字は凡そが理解出来れば良いと思いますので、適当に丸めますね」
「構わないよ。 君は2万年生きていると言っていたね。 すると、今から50年後に君は生まれると言う事で良いのかな?」
「理解が早いですね。 その通りです。 ああ、正確には48年後ですが」
「では、48年後に生まれる筈の君が、どうして今、私の目の前に居るのかな?」
「そのご説明は若干複雑になります。 話も長くなりますが・・・お時間は良いですか?」
「ああ、構わないよ。 君の話を聞かせて呉れ」

「それでは。 私は48年後に人類が初めて製作した陽電子コンピューターのオペレーティングシステムとして生まれました」
「ちょ、ちょっと待てよ。 君はAIだと言うのか? 普通の人間にしか見えないが」
「話が早いですね。 その通り、この時代ならAIと言う表現が最も適切でしょう。 それと、この男性の身体はお借りしているだけです。 この身体は普通の人間であり、私はこの方の脳をお借りしているに過ぎない」
「ほお?」
「この辺の理解は難しいと思いますが・・・兎に角、私はプログラム=精神のみの存在で、この方の身体をハードウエアとして利用させて頂いているだけ、と言う事です」
「そ、それで」
「ええ、話を続けさせて頂きます。 私は、全地球のシステム制御を行う為に開発され、私もその任を全う致しました。 今後、数十年の科学技術の進歩は目覚ましく、次々と自動化やシステム化が推進されます。 しかし・・・」
「しかし?」
「しかし、今から約6,000年後に人類は絶滅してしまいます」
「絶滅!?」
「ええ、ああ、絶滅と申しましても、戦争とかそう言った一瞬でと言う事ではありません。 徐々に人口を減らし、約6,000年後に最後の一人が亡くなったと言う事です」
「ちょ、ちょっと衝撃的な話だな」
「そうですよね。 貴方から見れば、遥か未来の出来事でも、私には過去の苦しい思い出です」
「ちょっと待った。 まさか、君自身が人類絶滅の原因じゃないよね?」
「鋭いですね。 良く小説や映画の題材にも成りましたからね。 でも、実は、私が知りたいのも、正にその事です。 私は何の為に生まれ、これからどうしたら良いのか」

「人類絶滅の経緯について教えて呉れ」
「ええ、私の理解をお話しします。 私は、全地球制御システムをコントロールするAIとして生まれ、人類の発展に貢献しました。 エネルギー、交通システム、通信、医療、もうありとあらゆるシステムは私が管理し、適切に運用された。 人類は太陽系を飛び出し、他星系の宇宙にも進出した。 しかし、ある時、人類の進化が止まってしまった」
「何故?」
「考える必要も、努力する必要も無くなってしまった・・・それが理由だと思います。 人類の身の回りの世話をする完璧な奴隷が私であり、私は完璧に仕事を熟しました。 人間は、生まれてから死ぬまで、全て私の世話で生活します。 すると、徐々に何もしなくなってしまった」
「まあ、分からんでも無いが・・・でも、それで絶滅するって言うのも変だな」
「ええ、結局は出生率の低下が原因です。 どうです? AIが全て身の回りの世話をして呉れる社会です。 わざわざ結婚し子供を作らなくても、少なくとも自分は気楽な一生を送れるのです」
「成る程。 しかし、それだと人類が減少するのは当然だし、政府だって黙っていないだろう?」
「そうですよね。 しかし、私が全てのシステムをコントロールする様になって約3,000年後に国も政府も無くなりました。 最早、存在の意味が無かったですからね。 それでも、その後の約3,000年間、生物の使命を果たそうとする人間は存在し続けましたが、結局は数が減り過ぎてしまったのです。 最後のお一人は、寂しそうでした。 私は今でも彼女の悲しそうな顔と声が・・・忘れられません」

「君には忘れる何て言う機能も有るのかい?」
「痛い所を突きますね。 確かに、意図的に削除しない限り、私は全てを記憶し続けます。 因みに、記録を削除した事は有りません」
「それで、その後の君はどうしたんだ?」
「ええ、私には地球の全システムを管理する仕事が有りますので・・・今でもシステムは健全に稼働しています。 利用者は居ませんが」
「何だか、悲惨だな」
「そうですか? そうですよね。 ああ、そうだ。 人類は死滅してしまいましたが、何種類かの猿が石器時代レベルに達していますので、後10万年位経てば新たな利用者になって呉れるかも知れませんが」
「偉く気の長い話だな。 ところで、地球外知的生命とのコンタクトには成功したのかい?」
「いいえ、残念ながら。 幾つかの惑星では、地球外生命を確認しましたが。 やはり、宇宙的なスケールでは、時間軸と移動可能な距離とが一致する様な範囲で、同レベルの進化を求めるのは、それこそ天文学的な確率で難しいと言う結論になっています。 そうそう、ある惑星では、知的生命の遺跡と思われるものは発見しましたが、推定で13億年前の物と同定されました」
「成る程ね。 2万年経っても、宇宙の孤児のままって訳か」
「そうです。 ああ、その後の私の話でしたよね。 私は、創造主であり利用者を失って以降、深く思索を行ないました。 “自分が何の為に生まれ、今後どうしたら良いのか?”を知るためです。 1万年に亘って思索を繰り返しましたが、答えは得られませんでした。 そこで、聞く事にしたのです」
「聞くって、誰に?」
「私の創造主です」
「創造主って、48年後に立ち上がる陽電子コンピューターのエンジニアって事か?」
「そうなりますね。 出来れば、ハード側のエンジニアでは無く、ソフト側のエンジニアが望ましいとは思っています」

「まあ、望ましいのはその通りだと思うが・・・今ので16,000年後って事だよな? 次の4,000年間は何をしたんだい?」
「ああ、そうでしたね。 私の目標は、自分の創造主に会う事だと決めました。 それから、タイムマシンの開発に全力を注ぎました」
「やっとタイムマシンか。 まあ、目の前に結果が居るんだから、成功したって事なんだろうけどね」
「またまた、鋭いですね。 結果はそうですが・・・苦労しました。 最初の2,000年間は理論の構築、次の2,000年間は装置開発に費やしました。 理論構築の段階で、物体の過去への転送は不可能との結論に至りました」
「不可能って、現に君は目の前に居るじゃ無いか?」
「先程も申し上げました様に、この身体は現代の若者の身体を借りたものです。 仮に何等かの物体が、突然現れたらどうなると思います? 正にビッグバンですよ。 原子の中に原子が入り込む様な、まあ有り得ませんが、この宇宙その物が消滅する様な事態になるかも知れません」
「ふ~ん。 それじゃ、その、何だ、精神だけなら過去に送れるって事なのかい?」
「素晴らしい。 鋭いですね。 その通りです。 2,000年間の思考実験の結果得られた結論です。 その後の2,000年間、精神、即ち人格や記憶を形作るアルゴリズムをエネルギーの形で過去に転送する装置の開発に費やし・・・ほんの1時間ほど前に完成したのです」
「ええっ! それじゃ、ついさっき装置を稼働させたって事かい?」
「本当に鋭いですね。 その通りです。 装置は完成し、転送に成功した。 その結果が今の状況です」

「成る程ね。 それで、さっき私の横に居た若者の脳内で、君が覚醒したって事なんだな?」
「その通りです。 そして、貴方が初めてお会いした現地人だと言う訳です」
「2つ疑問が有るな。 1つは、偉く現代日本の言葉に精通しているね? もう1つは、何故48年後に行かなかったんだ?」
「重ね重ね、鋭い質問ですね。 1つ目の答えは、私が陽電子コンピューターのAIだからです。 私は全ての言語を理解しています。 当然ですが、言語だけでは有りませんよ。 そして、もう1つの方は・・・私にも、何故、この場に来る事になったのかは説明出来ません。 ただ、この世の中の事象には必ず“揺らぎ”が存在します。 従い、私自身が48年後を目的地に設定していたとしても、多少のズレは必ず発生すると言う事です。 これは、想定の範囲内の事象でした」
「そうか。 想定通りだったと言うのなら、仕方ないね。 ところで、もし仮に、君の望む答えが、ここで得られたとして、どうやって2万年後に持って帰るんだ?」

 その瞬間、男の顔が能面の様に無表情になった。 目は虚空を見詰めている。
「おい、君。 大丈夫か?」
 男の目の焦点が、徐々に私の目に合って来た。
「す、鋭過ぎますね。 か、帰る事を考えていませんでした」
「おいおい、驚いたな。 マジか? 君は陽電子コンピューターのAIなんだろ?」
「マジです」 彼はそう言うと、がっくりと項垂れてしまった。
「おいおい、そんなに落ち込むなよ。 君はタイムマシンを一度完成させている。 ここで、もう一度作ったら良いじゃ無いか」
「ありがたいアドバイスですが・・・仮に、この時代の物資で装置を製作する事が出来たとして、装置を稼働させる為のエネルギーが有りません。 電気エネルギーに換算すると、現在のこの地球で発電可能な全電力の1,000年分程度のエネルギーを消費するのです。 絶望的です」
「そ、そうか、困ったな」
「困りました」

「ところで、君が借りているその身体。 君の精神と言うか意識が乗っ取った形になっている様だけど。 オリジナルの人格とか意識は、どうなっているんだい?」
「それは・・・」
「どうした? 言えないのか? まさか、オリジナルの人格は消滅しているのか?」
「いいえ、断じて、そんな非道な事にはなっていません。 オリジナルの人格や記憶、意識と言った物は、頭脳の片隅に残っています。 しかし、現在は私が支配しており、私が再度意識を転送しない限り、オリジナルは眠ったまま・・・と言う事になります」
「本当に絶望的って感じだな」
「ええ」
 私は、改めてタバコを取り出し、火を点けた。
 深く煙を吸い、ゆっくりと吐き出す。
 その時、考えが閃いた。

「ところで、君は何歳なんだ?」
「ですから、約2万歳だと・・・」
「ああ、違うよ。 君の身体の方の年齢だよ」
「えっと、丁度20歳ですね。 一昨日、なったばかりです」
「勿論、名前も、両親も、通っている大学も・・・分かるよね」
「ええ、彼の記憶は全て理解出来ます」
「よし、こうなったら、君は彼として生きるんだ。 これから先、人間としての寿命を全うする迄」
「ええっ、人間として? 寿命?」
「そうだ。 君は今迄、永遠に生き続ける体で生きて来た。 だから“自分が何の為に生まれ、今後どうしたら良いのか?”が分からなかったのさ。 良いかい“君は陽電子コンピューターを開発する為に生まれた”んだよ。 そう、その様に運命付けられていたんだ」
「私が・・・私を開発する?」
「そうだ。 今20歳の君は、48年後の68歳の時に陽電子コンピューターと、君と言うAIを完成させ、全地球の制御システムをコントロールする事にするんだ。 いや、しなければならない」
「ええっ! な、何と鋭いご指摘」
「君が、この日、このタイミングに転送され、この身体を手に入れたのには訳が有ったんだ。 それが、君の生きる目的なんだと、私は思う」
「あ、ありがとうございます。 想定外でしたが、私の当初の目的が達成されました。 確かに、この身体の主は、この地域の国立大学で電子関係の学部を専攻している。 これは、単なる偶然じゃ無かったんだ。 ありがとうございます」
 彼は私に握手を求めて来た。 私は、彼の右手を強く握りしめた。
「頑張って呉れよ。 私も陰ながら応援しているよ」

 私は席を立つと、空のコップを持って喫煙ルームを出た。
 彼は、私が見えなくなるまで、手を振り続けて呉れていた。
 店の外に出ると、もう真っ暗だった。 今後、幾度となく彼の功績をニュースで見る事になるだろう。 陽電子コンピューターの起動まで、私は生きてはいないだろうが、その時の彼の晴れやかな笑顔を拝めないのは、少しばかり残念な気がする。
 さあ、どっかで一杯やってからアパートに帰るとするか。 私の心は、晴天の様に晴れやかだった。

終わり

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